私の考えを実践する場として漢方専門薬局・針灸治療室 三健堂(さんけんどう)を開設したのは昭和50年のことでした。その後63年には漢方美容サロンをオープンさせ、漢方総合療法を提唱してきました。
その間には、多くの方々にスタッフとしてお手伝いいただきましたが、特に今のスタッフがベストメンバーだと思っております。
このページはそんなスタッフのみなさんに開放して、日頃感じていることを自由に書いてもらうことにしました。実は私もこのコーナーをとっても楽しみにしております。


No.32 「29周年設立記念パーティー」の「6種類のスパゲッティ」の感想文
スタッフ日誌の原稿をチェックしていたら、5年前のスタッフの原稿が見つかりました。せっかく書いてくれたのに、埋もれていて発表しないのは申し訳ないので、懐かしく思い出しながらご紹介する事にしました。(「スタッフ日誌」のページは、私がかかわらずに自発的に書くページですが、今回だけは私がまとめてみました。)
今年は2009年ですから、6月10日がくると34周年になりますが、今回の文章は5年前の29周年記念日に私の自宅で行った「設立記念ホームパーティー」=『スパゲッティーパーティー』の感想文です。
以前、4種類のカレー(牛肉・豚肉・鶏手羽元・シーチキン)で『カレーパーティー』をした事がありましたが、この時は@たらこスパゲティ A和風大根おろしなめ茸スパゲティ Bシーフードスパゲティ C大根スパゲティ Dバジル入りスパゲティ Eアレンジミートソーススパゲティの6種類のスパゲティと大根サラダをスタッフ皆で作りました。
何せ、16人分を作るのですから、肝心の『スパゲッティの茹で加減』が問題でした。『スパゲッティそのもの』は柏市内の製造元の会社から取り寄せている「生」のもので、多くの人に差し上げて「美味しい!」と喜ばれているものでしたが、「通常の茹で時間」を目安にしてスタッフに茹でてもらったところ、(後でわかったのですが)「常時かき回しながら茹でた」との事で、それと「6種類の具とサラダの調理と同時進行だった事」「16人分を全部茹でてから食べた事」が原因で、“少々茹で過ぎ”になってしまった事は残念でした。が、ノンプロの主婦集団としては上出来だったと記憶しています。
レシピは順次、長女江理がご紹介すると言っていますので、少々お待ち下さい。
それでは、この時のスタッフの感想をご覧下さい。

<S.Aさん>  
@ 一人住いになってからは仲々スパゲティを作る機会が少なくなりました。
A たらこスパゲティとても美味しかったですが、和風大根おろしなめ茸スパゲティは本日初めていただきました。絶品です。子供が帰ってきたら是非作ってみたいと思います。
<M.Nさん>
スパゲティは大好きで、よく作ります。なめこと大根おろしの和風スパゲティは、短時間で出来そうで、大変おいしく頂きました。家のメニューに加えさせて頂きます。正直言いますと、スパゲティはかた目にゆでて、すぐに頂くのがベストですので、それだけが残念でした。
<K.Kさん>
一番おいしかったものは、シーフードでした。味付けをきいたらすごくシンプルなのに良い味でした。なめこ大根スパゲティは、今年の夏から定番メニューになりそうです。すごくさっぱりしてどんどん食べれる感じで、ダイエットには、不むきでもカロリーは低そうですので…。
<H.Iさん>
味の濃い物(クリーム系)はあまり好まないので、今回のスパゲティア・ラ・カ・ル・トはすべてがあっさりしていて、良かったです。bPとして、大根スパゲティとバジル入りが好きでした。…おいしかったです。
<M.Uさん>
今日は29周年記念おめでとう御座居ます。子供が小さい頃はよくスパゲティつくっていましたが、子育てが終わり10年もつくった事がありません。さぬき生まれなのでいつもさぬきうどん。久しぶりのスパゲティとてもなつかしくおいしかった。特に大根スパゲティ大根サラダもとてもおいしく感じました。又日曜日につくりたいと思いました。
<K.Kさん>
本日はありがとうございました。
・ たくさん塩を入れてゆでるものと思っていたスパゲティ。
塩を入れずにゆでたスパゲテイ。身体にも良い、イケル!!
・ 一番おいしい、作ってみたいと思ったスパゲティ。
シーフードースパゲティ!
味付けは、にんにくをいためて、シーフードをいれ、玉ねぎのスライス(?)を入れて、塩・こしょうのみ?シーフードのお味と玉ねぎのあまさがうまくミックス!!
これはイケル!!家でも作ってみよう!
<K.Sさん>
・だいこんおろしなめこスパゲティがあっさりしていて、味にめりはりがついていておいしかったです。
・シーフードのえびをねらってとりました。
・大根サラダおいしかったです。大根の切り方がうすくて食べやすかった。
<Y,Sさん>
6種類のスパゲティどれもおいしかったですがシーフードースパゲティ。お客様に自分が出す時もシーフードなら好き嫌いもなく味もよかったので。材料も冷凍で作り方も簡単で何よりです!パスタもすごくおいしかった。
<K久米さん>
普段からさっぱりした味を好んで食べる様になっていますのでだいこんおろしなめ茸のスパゲティが今日の様に気候に合っておいしく感じました。バジルを使ったパスタもおいしかったです。普段は1種類のみを作っていましたが、何種類も作ると目先も変わっておいしさも倍になるということを勉強させていただきました。今日はありがとうございました。
<N.Tさん>
どれも、これもお心いれのお料理でおいしく頂きました。大根おろしとなめ茸のパスタは、これからの季節にぴったりでおいしい。大根が手にはいった時に、作りたいと思います。ごちそうさまでした。
<M.Yさん>
だいこんなめこスパゲティがおいしいと思いました。今日は6倍の味を楽しむ事ができてとても嬉しかったです。手の込んだお料理ももちろんおいしいのですが、かんたんで手がるにできる事もとてもありがたいと思います。家でもすぐにできそうです。創立29周年おめでとうございます。そして今日はありがとうございました。初めての参加で上手に動くことができず申し訳ありませんでした。
<K.Hさん>
本日はお忙しい中本当にありがとうございました。どのスパゲティもおいしかったですが、特に大根おろしとなめ茸のスパゲティがおいしく、家に帰りましたらぜひ作りたいと思います。これから夏に向けソーメン・ひやむぎなどで作ってみたいです。
<Yさん>
本日は、29周年記念おめでとうございます。古村先生、江理先生、悠介さん皆さんお元気で120才迄で長生きなさり、多くの人々をお助けなさり、三健堂さんが益々発展なさる事を、朝夕お祈り申し上げております。今日は、おいしい、家ではなかなか頂けない色々なパスタを頂きましてありがとうございました。又お土産まで頂き、本当にありがとうございます。帰宅してゆっくりと、家族のものと味わい又感謝させて頂きます。私もお蔭様で、14年間お勤めさせて頂きました。年令は、80才になります。今後も感謝を忘れず頑張らせて頂きますのでよろしくお願い申し上げます。



No.31 古希を迎えて E  結婚のこと 主人のこと
ミッキー
22歳、やっと和裁学院を卒業という年に、お見合い話が4件もありました。「家を一軒建ててやる」とか、「トランク1つでもいいから」と、とてもいい縁談ばかりでしたが、私としては両親にお恩返しをしてからと思っていましたし、今度は夜間の料理学校にも行きたかったので、お見合いには気が進まなかったのです。でも、今まで女性徒ばかりの生活でしたのであまり男性とはお話した事がなかったし、今までの青春を取り戻したい気持ちもあったので、心は揺れました。
そんな私が『いざ、お見合いを!』と決心して初めて臨んだその相手に対し、私は「優しい人柄」に好感をもてました。両親も「苦労したまじめな方なら二人で協力すればいいのでは…」と結婚に賛成してくれました。
当時、結婚するには嫁入り道具はトラックに2台か3台と言われていました。これは所帯を持つ若い夫婦にとってはありがたい事だと思いました。
初めてのお見合いから5ヶ月後に結婚・1年後に長男を出産しました。
子供を育てながらよく内職をしました。内職のお金は、この子の教育資金に今から貯めようと考えましたし、又、離れている主人の両親への仕送りにも使いました。この頃は若さがあり、働く事はあまり苦にならずに頑張りました。
結婚して3年程たった頃、健康食品のサギにあいました。主人に相談する時間がなかったので、主人と私の2人分の貯金通帳のお金を全部おろしてしまったのです。その時の私は「サクラというもの」を知りませんでしたが、主人にこれを話せばきっと許してくれないだろうと思い、離婚を覚悟して正直に話をしました。すると思いがけない事を言われ、「主人が本当に広い心の持ち主である」と驚きました。主人は「高い月謝だと思えばいい。これからは人を見たら泥棒と思うがいい。」とやわらかい言葉で言って許してくれたのです。私はただただ申し訳ないと思い、それから1年間、(妊婦でありながら)必死で内職をしました。一年後にはそのお金を弁償する事が出来ました。今、これを書きながら、主人の事を色々思い出します。
転勤が多い結婚生活でしたが、主人のやさしさには頭が下がることが多く、やはり私にはもったいない様な人だったと思っています。とても仕事熱心であり、又、子煩悩でもあり、勉強が好きで、背広のポケットにはいつも英単語を書いた紙きれが入っていた事を思い出します。何歳になっても勉強熱心で、英語・ドイツ語・韓国語はペラペラで、「70歳になったら世界一周をしよう」と夢見ていました。
又、主人はおとなしそうに見えて冗談好きでした。結婚した時から私は主人から「バカ」といわれていました。最初は「バカ」といわれて本当にビックリしました。親にも先生にも言われた事がないのでくやしくて泣いた事もありました。が、何年か我慢しているうちに私も少しは精神的に成長したもので、「バカという者がバカだ」という口答えが始まりました。そのうちにそれは二人の遊び言葉になってしまいました。
ある日、韓国語を一緒に勉強している女医さんから、「奥さん、ご主人様がほめていたわよ。」と電話がありました。「え? バカと言われて30年なのに…。漫才みたいでしょ? 何をほめていたの?」と聞くと、「うちの奥さんは質素で、良く働く。国家公務員の奥さんの模範生だ」と言っていたというのです。はじめて聞いたことですがうれしくも思いました。バカという言葉は愛する表現かしら? と思いました。
「私バカだから、先生教えて」と主人に言う。すると主人先生は丁寧になんでも教えてくれる。そんな毎日でしたから、「やっぱりバカっていいなあー。いつまでも謙虚でいよう!」と思えたのです。
定年になってから天皇様より勲章を頂いた主人。これはわが家の宝です。今でも写真と一緒に飾ってあります。
色々な事がありながらも親子4人で幸せな結婚生活でした。
次は「柏に新居」です。



No.30 「やられた!!」
薬剤師・鍼灸師 古村江理
私の母(古村和子)は、料理が好きです。私が小さい頃は、誕生日やクリスマスなどのイベント時には、特に、色々な料理にチャレンジして作ってくれました。
あまり買い物に行く時間が無かった母は、ありあわせ・残り物再生料理部門が多かったそうです。ですので、パエリアとか、クスクスとか・・・おしゃれな手の込んだ料理はあまり作れません。その代わりありあわせの創作料理が特に得意です。
先日、残業している私に『手作りおかず』を差し入れてくれました。
ジャガイモとベーコンを使った、ジャーマンポテト風の炒め物と、なにか細かく切っていためて卵でとじたおかずの2品でした。
どちらも美味しくて、特に何か細かく切った炒め物が美味しくて美味しくて…。ぺろっと平らげてしまいました。
食後10分ほどして・・・
母から電話がかかってきました。「おいしかった?!」
私は『おいしかった〜〜〜。疲れ取れる〜〜〜!!』と喜んで報告しました。
『ところであの美味しかった“細かく切った炒め物”。あれ、何入っているの?』
そう聞いたところ、
「……あれ!? あれねぇ〜〜〜〜。」
ともったいぶって(?) 「あれは、しいたけの茎と、えのきの石突の上の根元のところと〜〜、人参の型抜きした後のかすを〜〜、細かく切って炒めて卵で綴じたの。」
……やられた!!……と思いました。
あるんです。母は、そういう再生料理が。得意なのです。残り物の野菜炒めが次の日はスープに化けていたり、家族が『おいしい、おいしい!』と食べている時は嬉しそうにニヤ〜〜っと笑っているんですが、後で「実はね・・・」と中身を種明かしされると、結構残り物だったりするんです。
お願いだから種明かししないで…。
そんなときもあります。
本人曰く、「勿体無いとかケチとかではなく、『物の命を全うさせる』為だ」とか。
何も言わず残り物を再生してみんなが何も気がつかずに美味しいと食べてくれると、楽しいそうです。だから、食後にちょっとタレが残ったり煮物の汁が余っているものを捨てようとすると、怒られます。
先週、チャレンジしてみたんです。再生料理を、弟で…。(ウフ!)
えのきの石突を取った後の根元の部分と、人参の型を抜いた後の残りと、ほうれん草の根元の赤いところとを細かく切って炒めて卵で綴じたんです。(おしょうゆ味)
細かく切っている現場を弟に見られてしまいました。
「何作るの・・・?」と弟の顔は、半ば青ざめていました。
『ひ・み・つ〜〜』とお決まりのごまかしをして、次の日のお弁当に持って行きました。
おいしかったです。
しかも、弟は「これがいちばんおいしい〜〜〜!!」と再生料理おかずを一番嬉しそうに食べていました。
こうやって娘は母に似ていくのかもしれません。



No.29 三健堂スタッフ師弟問答集(その3)
師 : ペンネーム「エヴォのママ」
弟子: 古村悠介(褐著aプロジェクト)

こんにちは。褐著aプロジェクトの古村悠介です。日一日と寒くなってきましたが、この師弟問答集は常夏です(笑)ある日、両替をしながらの会話でこんな一幕がありました。師匠「エヴォのママ」さんの底知れないパワーの秘密が、そこにはあったのかもしれません。

師:悠介さんって、小さい頃「●●レンジャー」とか見てた?
―――――弟子:いえ、僕そういうのは全然見なかったんですよ。
師:今スゴイのよぉ〜。「ガオレンジャー」とか「アバレンジャー」とか。息子に見せてたら私がハマったの(笑)
―――――弟子:(笑)そうなんですか?僕全然わからないんですよ。
師:でも一番ハマってるのが、アレね。「仮面ライダー」。もうすっごいカッコイイんだからぁ〜。
―――――弟子:(笑)あれ今もやってるんですか?
師:日曜の朝早い時間にね。ほら、よく日曜の朝に時事番組やってるじゃない?その前に見るのよ。カッコイイんだぁ〜・・・仮面ライダー・・・(ウットリ)。
―――――弟子:(笑)もうハマッてますねぇ〜、ドップリと。
師:でもねぇ〜、昔と違って、今はストーリーがすごい難しいのよぉ〜。一生懸命見てるんだけど、全然話が見えてこないのよ(笑)
―――――弟子:(笑)え、そうなんですか?あ、でもこの間たまたま見た「ドラえもん」も何だかそんな一面があったんですよ。「親は親で大変なんだよな」とか言い出してて、ビックリしました。あれ?「ドラえもん」ってこんな小難しいアニメだったっけ?とか思いました。今日びの子供は、あんなの見てわかるんですかねぇ?
師:そうそう、最近のってそんな感じなのよね!難しいのよね!今度悠介さんに「仮面ライダー」のストーリーを教えてもらわなきゃ(笑)
―――――弟子:途中から見始めてわかるものなんですか?
師:ん〜〜〜どうだろう?わかんないね(笑)
―――――弟子:んじゃ見てもあまり意味ないじゃないですか(笑)
師:(笑)ホントだね(笑)・・・でも、ホントにカッコイイんだからぁ〜。時事番組見る前に「仮面ライダー」見といて、頭を柔らかくしておくの(笑)
―――――弟子:(爆)『和みパワー』で柔らかく(笑)
師:そうそう(笑)
―――――弟子:でもストーリーがわからない(笑)
師:そうなのよぉ〜(笑)ホンットに難しいんだからぁ〜!でもね、この間のお正月、親戚の子が遊びに来た時に、恥をしのんで教えてもらったのよ。これまでのストーリーをさ。すごーく良くわかって、「これで来週から思う存分楽しめるわ!」と思ってたら、来週最終回なのよ(憂)
―――――弟子:(爆)悔しい・・・(笑)
師:そう!もう「きぃ〜〜〜っ!」とか思ってさ。絶対あの子、テレビ局とグルよ!そう思わない?
―――――弟子:言われてみれば・・・そんな気も(笑)
師:やっぱりそうでしょぉー?(笑)
―――――弟子:(内心、これも江理先生に教えなきゃ!と思う)
師:(弟子の表情を見て)あ!今「江理先生に言おう」と思ったでしょ?やめてよぉ。これ以上恥かくのはイヤだからねぇ〜(笑)
―――――弟子:これもダメなんですか?(笑)



No.28 古希を迎えて D 和裁学院へ(全国和裁技術コンクール入賞)
ミッキー
和裁学院へ入学しました。四国の山の中から東京に出してくれ、好きな勉強をさせてくれた両親にはとても感謝しています。
「それにしても、香川県から東京まで、よくもこんな遠くに来たもんだ」と今も思います。でも、同じ村からの知人もいたので淋しいとも思わず楽しかったし、勉強の方も好きな縫物も苦になりませんでした。そしてお食事も「炊事の係りの人」がいて毎日作ってくれるので安心でした。
無事卒業出来る様、目標に向って自分の為にも両親の為にも頑張ったものです。
両親へのハガキも、忙しいので箇条書きで「元気でいる」と書いただけでしたが便りは忘れずに出しました。一度風邪を引いて寝込んだ事があったのですが、母から「やせて骨皮になって寝ている姿を夢で見たが風邪を引いて寝込んでいるのでは…心配しています。」という手紙がきました。『遠く離れていてもわかるのだ!』『さすがは母親だなあー』と涙が出た事がありました。
ある時、学院に『日本和裁士会主催、全国和裁技術コンクール』の知らせがありました。誰が出場するの?と皆で話していましたが希望者は誰もいませんでした。そんな時、先生に呼ばれて「あなた出場しなさい。大丈夫よ」と言われました。私1人というのはとても心細く、とても責任を感じて不安になりました。学院を代表して行くというのは自信がなかったのですが、『やるいしかない!』と自分に言い聞かせてお引き受けしました。
『技術コンクール』というのは「袷着(あわせぎ)を8時間内できれいに早く縫い審査の結果優秀者を決める競技会」でした。時間をかけて縫えば誰でもきれいに縫う事が出来ます。それは当たり前のことですが、『早く・時間内に・きれいに仕上げる』のは大変な事です。
当日は、北は北海道から、南は九州まで全国から腕をきたえた生徒達が東京中央大会に参加し、最大限に自分の力を発揮したものでした。
あらかじめ袷着を自分で裁ち、ヘラ付けしたものを当日持参するのです。先生と一緒にタクシーで行き、仕上げて提出するまで緊張の一日でした。
とにかく時間内に出来、ほっとした事も、お陰で入賞出来て賞状と入賞タテとネックレスを頂いた事も、一生忘られない、うれしい日でした。
先生も友達もとても喜んでくれ、又、両親も喜びの手紙をくれました。小さい頃から縫物をしていたのがよかったのかもしれないと思います。やはり母には感謝です。
当時、卒業式には全員訪問着を着ることになっていました。が、父親からが来た手紙には「訪問着くらいは卒業祝いに買ってあげたかったが…」と。やはり兄と妹の学費の事を考えて言っている父の気持ちはよくわかるので、私は卒業式には出ないと考えていました。
でも、やっぱり母親ですね。ある日、書留が届きました。訪問着一式を買う費用でした。後でわかった事ですが、母が豊かな時代に買っていた着物を売ったお金と、へそくりだったそうです。
こんな事があったので、私は「両親からのプレゼントは『大きな愛』と『訪問着一枚と帯』だった」と思っています。これも私にとって宝です。
そんな優しい両親に対して私は、「卒業したら、一生懸命働いて両親に親孝行しよう。まず、してあげたい事は、両親を東京見物させてあげたい」と思っていました。「日本の大都市を見てほしかった」のです。
次回は結婚と主人です。



No.27 「ステロイドは使わないで!」 
こいちゃん
店頭でも・通行中・通勤電車の中でも、最近ステロイドのリバウンドではないかと思われる方を随分お見かけします。
実は三健堂スタッフの私も辛い経験をしました。
三健堂に入社し、古村先生の勉強会で学ぶまではステロイドの恐さを知らずにいましたし、まさか、私のその辛い症状がステロイド・化学薬品による物とは思ってもいなかったわけですから。
10年ほど前、使用した眼科の緑内障治療薬の目薬(アレルギーも?)からはじまり、(特に右目に強い薬使用)眼科治療後しばらくして、右目上に原因わからずのかぶれが出、皮膚科でも原因わからず・治らず、その後は薬局の塗り薬を使用。その間3年ほど。
その後も、眉毛辺りに粉をふいたような白いかさぶた(?)・痒くなる様な症状が出たり出なかったりの繰り返しでした。
ここ5・6年は化学薬品は一切使用していませんでしたのに…。身体の中で化学反応??…が、昨年秋より右顔半分と右腕の肌の色が黒紫になり、腫れ・痒み・痛み・浸出液・肌がもろくなり、触れるだけで切れるという強い症状が出始めました。
「西洋医学は封じ込めるだけで完治しない。漢方は「排泄の医学」、悪い物を出し、根気よく・治ると信じてやってみよう!」と。
古村先生を信頼し、古村先生のご指導のもと、漢方薬(飲み薬・軟膏)・針治療・日常生活の注意事項の治療作戦を開始。途中、家族の者が西洋医学の治療を勧めましたが、化学薬品・化学物質で最悪の状態になったのですから行くつもりなどありませんでした。
約6ヶ月間死ぬ思い(?)・大変辛い思いをしましたが、お陰様で、今現在は顔半分右側がいくらか色黒かな?右腕がまだ少し…と思う位の状態まで回復。
今は「漢方ってすごい!」と家族の者も驚いていますよ。
一番醜い顔の状態のときには、誰にも見られたくないと…写真撮影も拒否しておりましたが、最近特に、店頭に若い方々のご相談者が増えてきまして、「このままではいけない。」と思い、古村先生のホームページにも顔写真も載せて頂く様おねがいしました。
皆さんに 「ステロイドの恐さを知っていただき、使用しない様お願いしたい」 と思っています。
どうぞ、元気を取り戻してきた顔を見に 「三健堂へ」 いらしてください。
(一番酷い時は顔色が黒紫でむくみもあり、お岩さん状態でした。 いくらか色・むくみが取れてきた状態の頃の写真です。)



No.26 「続 チャレンジ・フネ の広告」
古村悠介
こんにちは。4度目の登場となりました、褐著aプロジェクトの古村悠介です。坊主頭にもかかわらず、何故か美容院のチラシをもらう事が多く、世知辛さを噛み締める今日この頃。冬支度はお済みになりましたか。
前回、「チャレンジ・フネ −スケボー・バージョン−」の広告を書かせていただきましたが、今回は、フネさんの新しいチャレンジ(画像)を発見しましたので、書かせていただきます。
先日、都内で開催されました「第58回日本綜合医学会東京大会」の講演を聞きに、母・長女(姉)と3人で参加させていただきました。上野駅から山手線に乗り換え、何気なく見上げた社内広告に、あの「フネさん」がいらっしゃったのです。
今回はラグビーに挑戦しているフネさん。やっぱり着物・割烹着姿でチャレンジしているフネさん。他の選手を差し置いて、今回も満面の笑顔でダイビング・トライしているフネさん。汗一つかかず・髪の毛一本の乱れもないフネさん。封印をとかれた底力を惜しげもなく披露しているフネさん。
学生時代に一度だけラグビー観戦をした事があったので、その時の光景と着物姿で猛ダッシュするフネさんをミックスしてみました。……ありえない。この世のものとは思えない違和感に、思わず大爆笑してしまいました。しかし、さすが子供は適応力がありますね。前回ではたいそう驚いていたカツオ君も両手でガッツポーズしています。初参加のワカメちゃんも大喜び。その他大勢の観客はどう感じていたのでしょうか。………謎です。
その広告では上半身しか描かれていないので、1つだけどうしても気になって仕方がない事がありました。それは、「フネさんは下駄で走り回っていたのか?それとも足袋で?」………シリーズ最大の謎です。
そして、やはり広告には「チャレンジ!フネ」の文字が。しかしどう見ても「トライ」なのでは………。ボールの模様が「タマ」(しかも正面向いてる。 怖。)という規格外の演出。もう誰もフネさんを止められないのでしょうか。「まさか………遊んでない?フネさんで」突如燃え上がった疑惑の炎の中、「ガチャピン化(『開けポンキッキの』)計画中のフネさん」を携帯カメラに収めるのが精一杯でした。
注)日本綜合医学会の講演については、また別の機会に書かせていただきます。



No.25 古希を迎えて C  あこがれの高校生活(奨学生に選ばれて)
ミッキー
昔は今と違って高校進学は中学卒業生の1・2割位で、他の生徒は就職という時代でした。私の所は「8つの村の中学から1つの県立高校の本校に行く」ので大変でした。あこがれの高校へ入学し、1週間位してホームルームの部長・副部長の選挙がありました。入学間もなくでまだ友達の名前も顔もよく覚えられない中でしたが、私は中学3年生の時に早縫いコンクールで入賞して各新聞に載っていたので、ホームルーム副部長に選ばれました。自分ながらびっくりしましたが、こういう事は中学時代から慣れていたので、「クラスをしっかりまとめ、友人と仲よくして、楽しい高校生活を送りたい」と思いました。
高校時代も中間と期末テストがあり、その点数を合計してクラスで何人中何番という席次がつけられました。私は「中学時代同様に良い成績を取るには頑張るしかない」と心に決めました。
2年生の時だったでしょうか、別に申し込んだ訳でもないのに『日本育英会奨学生』に選ばれびっくりしました。「授業料免除」というので親は喜んでくれるかと思ったのですが、父からは反対に「お断りする様に」とすごく怒られました。
今思うと立派な父だと思いますが、当時の状況は、「叔父が医者をしているのに子供がいないので、父は『私の兄を医者にし、その後を継がせたい』という夢があり、中学から町の学校を受験させた」程でしたので、「これから先はお金はいくらでも必要だから」と思い、私は奨学生のお話をお断りしませんでした。
そんな事もあり、私は雨の日も風の日も休んだ事なく、一里半(6キロ)の道を自転車に乗って通学したものでした。
担任の先生は洋裁の先生でした。もともと縫い物が好きでしたので、高校の制服も自分で縫って着ていったものでした。
(この先生はとてもやさしい先生で、5年後に主人と私の仲人をしてくれた先生です。いい主人を紹介して下さり、今でも感謝しています。)
いつも奨学生である事を自覚し、生徒会活動をしながら、成績が下がらない様に家では毎日勉強の予習・復習・珠算・書道・縫物をし、ほとんど遊ぶこともなく頑張りました。3年間こんな事を繰り返す高校生活でした。
卒業の時の校長先生の『将来立派になって人の為に尽くしなさい』という言葉が耳に残った時代でした。
卒業後の進路については、珠算検定・硬筆検定それぞれ2級に合格しているので会社から事務職の採用もあったので、早く就職して父の援助をしたいと思っていたのですが、父は「お勤めをしなくても好きな道を進めばいい。これから女性だって自立する時代になる」と言い、母も賛成してくれましたので、和裁学院に行く事になりました。

次回は、和裁学院へ(全国和裁技術コンクールに入賞したこと)です。



No.24 近くで事故がありました。
古村江理
この前の昼下がり。
鍼灸治療が空いていて、流しで煎じ薬を煎じていた私。

突然

「キキィィ〜〜〜〜〜〜〜・・・ドン!」

と音が! 『エヴォのママさん』が窓の外を見て「アレ! ぶつかったんじゃない!!??」
と遠くを眺めて言いました。
『えっ!?』 ぶつかったの!?と窓の外を眺めても、私は見えない・・・。

実は針灸の「お兄さん先生」は、元消防隊員。救急車も乗っていた方。
傍にいたスタッフの人が お兄さん先生に声をかけて、駆けつけてみることに。
お兄さん先生は、お店にあるガーゼや包帯を抱えて駆けつけました。

エヴォのママさんは、一足先に現場に駆けつけ、後から来た私に
『早く!早く!』と手招きを。
そこには女の子が横たわっていました。
生まれて初めて事故現場に行った私は、手も足も声も出ません。
さらに後から駆けつけたお兄さん先生を呼ぶことしか出来ませんでした。

もうすでに、救急車は呼ばれていました。
通りすがりの人が囲んで心配そうに覗き込んでいました。
日傘をかざしてくれている女性もいました。
みんな心配そうでした。 私もです。

その時、お兄さん先生が怪我して倒れている女性に近づいて大きな声で声をかけました。
『お兄さんが来たから、もう大丈夫だよ!!』

女の子だけではなく、その周りにいた人全員の心配そうな顔がホッとした表情に変わりました。
女の子の顔から一筋の涙が流れました。
あー安心したんだね、良かったね。

『救急車も呼んでいるから、もうすぐ来るから。大丈夫だからね。』
『どこか痛いところ、ある??』
女の子はぽそぽそ・・・とつぶやきました。
『足だね。足のどこ?』

彼女はかかとに怪我をしていました。
お兄さん先生は、ガーゼを開けて適当な大きさに切り、ネット包帯をかぶせました。

ふと気が付くと、オレンジ色のジャンバーを着た人が3人、傍で電話をしていました。
その方たちはたまたま偶然通りかかったレスキュー隊の方々でした。
お兄さん先生はそのレスキュー隊の方に報告をして、あとはお任せして、みんなでそこを引き上げました。
暫くして、救急車が来ました。
よかったね。後は大丈夫だね。

お兄さん先生、すごい!

・・・あとでお兄さん先生のお話を伺いました。
軽い怪我でよかった、っておっしゃってました。
あの応急処置でよかったのか、とも。
中には頭を強く打って、耳から脳髄液が漏れ出てしまうケースや
意識が無いケースなど、今まで沢山見てきたそうです。
そういう時は、もうなすすべが無いんですよ、と。
お兄さん先生は教えてくれました。

人の生き死にに関る現場。

でも、「お兄さんが来たから、もう大丈夫だからね!!」
の言葉に、彼女も周りの人もどれだけ救われたか。
様々な事を感じた一日でした。



No.23 古希を迎えて B 終戦後の生活(学校生活)
ミッキー
国民学校三年生の夏が終戦でした。61年も前のことです。
戦後の食料難のために、学校の広い運動場はさつまいも畑に、我が家の広い庭も野菜畑に変わりました。そんな時代なので父はいつも栄養について考えていて、少ない収入の中から「煮干でカルシウムをとる」などの工夫をしてくれていました。
靴もなく下駄か草履でした。肉もなく新鮮な野菜ばかりでした。
電気もなくうす暗くランプ生活でしたが、五年生の時にやっと電気がつきました。初めての電気は明るくてびっくり! よく本を読みました。当時は二宮金次郎の伝記物が好きでした。お風呂は五右衛門風呂でした。
学校から帰ればまず勉強をする毎日でした。その後で、季節によってはいちぢくの木に登ったり食べたり、栗拾い・わらび取り・よもぎ摘み・げんのしょうこ取りをしました。夜は星が輝き、小川では蛍が飛んでいました。
のどかではありましたが、蝿(はえ)・蚊(か)・蚤(のみ)・虱(しらみ)・鼠(ねずみ)等が多かったです。夜は蚊が多いので蚊帳(かや)の中で寝ました。虱対策として、学校では全校生徒が「虱殺しのDDTの白い粉」をふった思い出があります。
「衣」の方は『衣料切符』というものがあって、今の様に何でも自由に布が買えるというわけにはいきませんでした。そんなご時勢の中、四年生から家庭科の時間がふえ、私は父母の着物をほどいては母に教わりながら、自分の着る服を自分で縫っていました。
六年生になった時、「クラスの級長、副級長」をはじめて生徒達で「選挙」で決めるように変わりました。私は母の念願の『副級長』にはじめて選ばれ、母は涙を流して喜びました。その姿を見ると又がんばりたいと思う私でした。
中学時代は戦後といえども村は豊かでした。そして通っていた学校が「日本に3つしかないモデルスクール」になったために、学校では『建物だけでなく中身も充実しよう』と、今なら差別と言える様なことが行われました。テストをすればなんでも、学年の生徒の木の番号札を廊下に「能力別に一番からビリまでを順番に」ぶら下げていました。でも、村の親達も生徒も先生を信じていました。「クラスを良くしよう」・「学校を良くしよう」という気持ちでやっていました。生徒会活動も盛んで、『出来ない子は助け合う』という優しい心が育まれ、それが道徳でもあったと思います。そして子供ながら『努力すれば成績はアップする』という事を皆で経験したことは、とても良かったと思いますし、忘れられない恩師でもあります。この頃の友達とは今も交流があります。
中学3年生の時、香川県下初の『中学生早縫い並びに運針競技大会』があり、私は第一位に入賞しました。両親はもちろんですが、学校でも担任の先生や校長先生・友達が、「日本全国に“山田中学校”の名があがった」と、とてもよろこんでくれました。そんな事があったので、卒業前、思い出のサイン帳をかくのがとても忙しかったのを覚えています。親友がサインをしてくれた『日本一の仕立て屋さんになって』とか、『今までの努力はすごかったね』と書いてほめてくれたのを読み、私は『将来、家庭科の先生になりたい』と思いました。こんな“十五歳の夢”を見ていたのです。そして高校に行ってもがんばろうと思う私でした。
次回は奨学金のこと・全国和裁技術コンクールに入賞出来たことを書きます。