このコーナーでは、私の普段考えていることや社会の出来事について思ったこと、各地の講演で語ったこと、旅行先での出来事などを紹介していきたいと思います。掲載する写真も私や身近な人達が写したものを掲載し、手作り感覚でがんばります。期待しててくださいね。


98 <45年振りの『大雪』>
またまたご無沙汰しているうちに、今は平成26年です。
2月8日の土曜日に、関東地方は大雪に見舞われました。45年振りの大雪とか。
最初は粉雪が舞う状態でしたが、風が出てきて、我が三健堂に向かって『吹雪状態』で、ウィンドーのガラスは結露して曇り、ドアを開けると雪が吹き込んできました。
私は長野県長野市出身ですので、子供の頃は『根雪』がある生活でしたが、吹雪の経験はありません。(近年は市内では根雪はほとんど無いとの事でしたが、今年はどうなのかしら?)(又、吹雪が無かったのは盆地だからかしら?)
長女が1歳の時に、札幌の雪祭りに行った時、毎日夕方になると吹雪になり、ビックリしたのを覚えています。その時の吹雪を思い出しました。
「覚えている」「思い出す」と言えば、『忘れもしない、45年前の大雪』です。
私が薬科大学を卒業する時で、その日は謝恩会でした。
都内のホテルでパーティーが予定されていたのですが、すごい大雪で電車が止まり、途中の駅で『6時間缶詰』になり、出席出来ませんでした。
『頭は美容院でセットしてもらった“アップ”・身体は洋服』『膝には、親が用意してくれた振袖』で、延々6時間、電車の中で待ちました。
後で、謝恩会の時の写真をアルバムで見た時の気持ち、おわかりになります?
かなりの少人数でしたから、私と同じ残念な想いをした同級生は沢山いたのですが、振袖姿のクラスメートが、楽しそうに・おいしそうに・・・
今回の大雪が『45年振りの・・・』と聞き、あの時の『電車内の寒さ・焦り・あきらめ』と『せっかく振袖を作ってくれた親への申し訳なさ』を鮮明に思い出しました。
「親」と言っても、私は両親がいないので、20歳の時に養女になった叔父・叔母(養父母)ですが、私以上に残念だったのではないか…と思います。
その為に、その振袖は、その年の10月末の結婚式で着ました。
当時は、今の様な本振袖ではなく中振袖で、色・柄もおとなしい物でしたので、結婚式には地味でしたが、せっかくの『愛情を込めて用意してくれた振袖』でしたので、お色直しに着ました。
後年、長女が鍼灸学校の卒業式に、袴の中にこの中振袖を着ました。(薬学部の卒業式は、この娘が成人式に着た、私が女手で作った『作家物の振袖』を着ました。)
今までにも雪は降りましたが、今回の『45年振りの大雪』というマスコミの報道で、こんなにも色々な事を思い出しました。
綾小路きみまろさんの漫談ではありませんが、『あれから45年』です。私は今、68歳。4月で69歳。来年は70歳になります。我が事ながらビックリです。この大雪のお蔭で、あらためて『自分の年齢』と『月日の経つのが速い』事を噛みしめました。
今まだ、道路の端っこには雪が沢山残っているのに、明日はまた大雪になるとの予報です。
あ〜あ!
以前は写真を撮るのが大好きで、旅行に行くと、36枚撮りのフィルム30数本・・・と、写真屋さんにビックリされ・喜ばれていた私。デジカメになってからは、費用を考えなくて良い事と、その場で確認出来る事が嬉しくて、いっぱい撮りました。 でも、デジカメって、撮りっぱなしになっちゃうんですよね。 だから、アルバムは増えません。 そんな事もあり、近年はあまり写真を撮らなくなっていました。 この大雪の日も、何かおっくうで、自分では撮らなかったのですが、『45年振り』という事で、久々にこの『ひとりごと』を更新しようと思ったら、載せる写真がありません。 そこで、長女が帰り際に、道路の反対側にあった『雪だるま』を撮っていたのを借りて載せました。 明日はどうなることやら・・・・

97  「遅ればせながら、近況を報告します。」
この原稿を書いたのは「H23、5、21」で、掲載する今日は「H24、7、1」です。こんなにもこのページに載せずにいたのは、諸事情があったからなのですが、この文を読み返してみて「今も同じ状況だから掲載しよう」と思いましたので、載せました。

昨年の12月10日から5ヶ月もの間、ご無沙汰していましたが、頑張っていましたよ。
人生って本当に色々な事が起きたり・降りかかってくるものなんですね。さすがの私も、思案に暮れる…という日々が続いています。
今まで多くの人に、「数奇な運命のもとに生まれた人」「波乱万丈の人生」「よくぞ生き抜いてきましたね」「そんなにひどい事をやられる人って、聞いた事が無い」「前代未聞だ」などとビックリされながら生きてきましたが、更に次々と困難な事がこうも続くと、自分との戦いですね。
どんな戦いか…というと、『自分の信念を信じるか否か』『宿命は決まっているが運命は “運べる命”だから、自分で良い方へ運べるはず』『この世には神様も仏様もいて、きれいな心で・正しい事をしていて・真面目に頑張っていて・人様の為に一生懸命に尽くしていれば、必ず守って下さるはず』・・・なーんていう事を毎日毎日心の中で繰り返して、不安や絶望感と戦っているんです。
昨年の12月初めから今まで、色々な事でとことん追い詰められて苦しんでいた私ですが、3月11日の大地震・大津波・原発事故で信じられない様な状況がテレビの画面に映し出され、毎日毎日・何度も何度も繰り返し見ていると、「私も頑張らなければ!」と強く思うのです。私の66年の人生の苦難全部を合わせても、今回の東日本大震災で被災された「家も仕事も財産も何もかも失ったり・命からがら逃げて助かったり・家族を何人も一度に亡くしたり…という、あまりに過酷な体験をされた多くの人達」の状況に比べれば、まだまだ軽いものだと自分に言い聞かせています。
今までの人生で私は、本当に沢山の困難や苦労を体験して来ましたが、今、分析してみると、私はいつも「被害者」でした。かつて一度だけ、開業した野田市から現在の柏市に移転する時に、「不本意ながら人様にご迷惑をおかけしてしまって苦しんだ事」以外は、被害者である自分が我慢したり・耐えたり・乗り越えたりすればよかったんです。でも、今は違います。もちろん「こちらに非が無いのに、いいがかりを…」という大問題も抱えていますが、それより多くの人にご迷惑をかけている日々が「加害者的な申し訳なさ」でいたたまれないのです。
これも「人生の試練・学び」なのかもしれませんが、『人様にご迷惑やご心配をおかけしている状況』と、『そこからいつ脱出できるのかしら…という不安』と、『どの様にしたら脱出出来るのかしら? という方法がわからない事』が、本当に心を苦しめるものなのですね。
こんな言い方をするのは変だと思われるでしょうが、私は一個人であると同時に治療家なので、どうしても「自分の辛さや苦しさ」は心の半分を占めるだけで、あとの半分は「同じ様な事で苦しんでいる人」に心が向いてしまうのです。
「こんな風に苦しいと、“うつ”になったり自殺を考えたりするんだなー」なんて、苦しんでいる(お会いした事のない多くの)人の心の辛さと自分の心の辛さを結んで、『体験しなければ実感出来ない苦難を、天が与えてくれているのだから、しっかり乗り越えて人様のお役に立つのが私のお役目・使命だという事なのだろう』ととらえる事にして、頑張っているのです。
人間って、「学ばされるもの」なのでしょうね。この5ヶ月の間にも、実に沢山の事を学びました。人様の優しさにも沢山触れました。ありがたさが沢山身にしみました。沢山感謝しました。そして、自分の無力さを実感しました。そしてそして、「誰に・どの様に協力していただいたら良いのかの方法がわからないから、出口が見つからないのだ」という事もわかりました。今までの人生は、ただただ一生懸命自分が頑張っていれば何とかなったのですが、今の私は、それでは解決出来ない状況にあるのだと痛感しつつも、一歩も踏み出せずに、踏み出す足が宙に浮いたままで、着地させる方向すらわからない状態だという事がわかってきました。
この年になって、思案に暮れるという体験は、きっと貴重なものなのでしょうが、「目標が決まれば突っ走る」私は、逆に言えば「目標が決まらないと何も出来ない」のですから、何とか腹をくくって、勇気を出して、「これは…」と思う方向に一歩を踏み出してみようと思います。
今も毎日の様に余震が続いています。昔から「地震・雷・火事・親父」と言われますが、本当に地震というのは「自分が立っている足元がグラグラ動く」のですから、立っていられない訳ですね。人生も「足元がグラグラ」していたら、立っていられませんし、まして歩く(前進する)事は不可能です。3月11日の地震は、私が住んでいる千葉県柏市(北西部)もかなり大きな揺れで、2階の自室に一人で居た私は、引き出しが飛び出してきたり・天袋が落ちてきたり・食器が乗っている簡単な棚がくずれて食器が落ちて割れたり…と、人生で初めての大きな地震の体験をしたので、あれ以来「地震めまい」とも言うべき症状が続いています。「地震だ!」と思っても周囲は揺れていない事がしょっちゅうありますので、これを私は「一人余震」と称していますが、大地震のショックと恐怖による『腎虚の重症化』が原因だととらえています。そんな私ですから、ちょっとでも揺れると不安感がよみがえりますが、「大丈夫」と自分に言い聞かせて落ち着こうと努力しています。それと同じ様に、今の状況に対しても「大丈夫」と自分に言い聞かせて、落ち着く様に努力して、一刻も早く困難な状況を乗り切ろうと心に決めています。
こんな苦境に立たされている私ですので、宜しくお願い致します。(H23、5、21 記)
(H23、12、27 の今も同じ心境で、状況はもっと緊迫しています。)
(H24、7、1 の今日は、何人もの助っ人さん達(?)のお陰で、「宙に浮いたままでいた『踏み出す足』の、『着地させる方向』が決まって踏み出せそうな段階」になりましたので、その方々に感謝しつつ、皆様にご報告致します。)

96 「先を越された!」
平成22年3月11日(木)
先日テレビを見ていたら、プロ野球の楽天の元監督の野村克也さんが出ていました。
その話の中で、自分は野球が大好きで、自分の人生から野球を取ったら何も残らないと言いつつ、『野村−野球=ゼロ』と話し、画面には「ノムラ−野球=ゼロ」の文字が映し出されました。
それを見た瞬間、私は「あー、やられた!」『先を越された!』と思いました。何故?
実は私は常々『古村和子−わかり易さ=ゼロ』と言っていたからです。
勿論、知名度は「月とスッポン」で私は無名ですが、店頭での説明やカウンセリング・出版本・手作りの小冊子・ホームページ・講演会・講師活動・塾のテキスト等々、あらゆる所で「古村先生のお話や説明はわかり易ですね」と言われ続けていますので、その都度『古村和子−わかり易さ=ゼロ』と言っては笑いを取っていたのです。
そんな私ですから、テレビで野村監督の話を聞きながら「ノムラ−野球=ゼロ」の文字を見て意を強くしたのです。「私と同じ発想の人がいて、信念を貫いて、成功している。しかも辛くても頑張って・楽しんで・人生の全てを塗りつぶして、幸福を手に入れている」と。
この事を長女に話したら、「お母さん、先を越されたね。」「この事を“ひとりごと”に載せたら…」と。それで載せる事にしたのです。
「漢方」とか「東洋医学」というと、元々が『中国から伝わって来たもの』『東洋哲学が基になっているもの』ですから、日本東洋医学会のお医者様達が作った「専門医のための漢方医学テキスト」をはじめとして、医学部や薬学部の学生が所属している漢方研究部や東洋医学研究会で使用しているテキストの類も、様々な漢方関係の勉強会の内容も、中医学の認定資格をとる民間の勉強会のテキストも、全てがものすごく難しいので、『古村和子流の漢方総合療法』を必要に応じて取り出して説明すると、「漢方って難しいと思っていたけど、すごくわかり易いのですね」と言われるのです。
こんな風に喜ばれている私の説明・解説なのに、薬剤師仲間などで漢方を学んでいる人の中には、もっと難しい「学術的な学び方」の方が満足する人も多く、厳しい言い方をすると、『学んでいるという自己満足だけで、学んだ事を実際の臨床現場で活用出来ず、病気で困っている人々を上手く漢方医療で治せない人』も多いのに、『私のわかり易くて結果を出せるやり方や想いが伝わらないし広まらない』と、チョッと自信を無くしかける事もあるのです。
が、今回の野村克也監督の『野村−野球=ゼロ』に出会って、これからも私流の『わかり易い漢方医学の伝授』を、胸を葉って頑張ろうと思いました。
この原稿を書こうとして写真を探していましたら、色々思い出しました。でも、何だか自慢しているみたいでためらいましたが、私が今まで、それこそ「救急車で緊急入院した入院中」でも・「手術前後の約半年間の入院中」でも・「家庭内暴力でおびえる日々の中」でも・「離婚調停の裁判所通い中」でも・「再婚してとんでもない苦難の年月の中」でも頑張って継続してきた事ですので、胸を張って紹介させていただきました。
最初に発行した『漢方流食生活』の本は、「本が大嫌いの私なのに、面白くて・ためになって、最後まで読んじゃったよ」と言われました。2冊目の『漢方流で髪が生える』は、悩む人が「自分の抜け毛の原因がわかった。、漢方で解決したい」と思ってくれました。3冊目の『漢方流で治す女性の病気』は「漢方のとらえ方や病気の原因がわかって安心した。いつもそばに置いておき、何かあったらこの本を見ます」「漢方なら安心なのでホルモン剤をやめて漢方薬にしたいです」との反響がありました。

このホームページの『著書紹介』のページにも載せましたが、「水分の摂り過ぎの害・点滴の害」「糖尿病と合併症」「脱ステロイド作戦」「ニキビ・ニキビ跡」「シミ・色素沈着」などを解説したB5判の小冊子を作っていますが、『わかり易い』と喜ばれています。

講演会もあちこちで依頼されて漢方のお話をさせていただいてきました。少ない時は10人〜30人という時もありましたが、この写真は初めての大きな会場でした。九州で、1300人収容の会場に650人程が来てくれた講演会で、この時の主催者側が録音したテープを起こした女性から、「会長も『わかり易かった』『しっかりテープを起こせよ』と言われました。今まで沢山テープを起こしてきましたが、古村先生のは一つひとつわかり易い説明なので、とっても楽しくて、ナルホドと思いながらパソコンを打っています」と言われ、嬉しかったです。

三健堂の3階で行っていた「漢方指南会」の『ミニ講演会』です。患者さんや患者さんのお知り合いを中心に参加してもらいました。平日であり、千葉県の柏市という場所で行うので、「参加したくても無理だ」「営業中なのでスタッフも参加は不可能」という理由で、ビデオを撮りながらの講演をし、テキストと共にビデオもお分けする事にしました。今は行っていませんが、今後はDVDにしようか…とも。

<ネットワーク臨床漢方塾>です。平成4年から東京で・平成7年から大阪で・平成9年から福岡で、講義形式の漢方塾をやっていました。今でもこの頃のテキスト『症状別ファイル』は、日本薬剤師会の認定薬剤師の講習を受けて認定資格を取った薬剤師の先生にも「わかり易くて助かる」と。他の権威のある勉強会に長年参加していた薬剤師の先生からも「古村先生の講義はすぐに店頭で活用出来てありがたいです」と言われ、嬉しい私です。

<ネットワーク臨床漢方塾>を、講義形式から『在宅学習形式』に変更後の教材です。テキスト・CD・ビデオ(今後はDVDの予定)・B4パウチ資料などを駆使して、「随時入塾可能」「何度も繰り返し聞く事が出来る」という利点を活用していただいています。私の病気・手術・体力低下などでお休みしていましたが、先日、塾生に「今年の4月に再開する」とのお知らせをしました。

<右脳漢方勉強塾>のデモテープの収録時の写真です。収録のスタジオに行った時、本物のスタジオだったので思わず私は「わー、練習だ!」と思いました。同席した人は“けげんな顔”をしていましたが、やがては…と夢を抱いている私は、「この収録で練習をして、やがては本当のスタジオで『わかり易い漢方の話を電波に乗せて全国へ…』のイメージをはっきりと自覚しちゃった」ものですから…。

<右脳漢方勉強塾>の中の「総論」の教材です。この収録は自宅で行っています。12の各論を含めて既に1000本以上を収録しています。この塾は、医学関係の有資格者には、ご自分の医療の仕事の中に漢方の知恵を導入してより良い医療を提供してもらう。又、一般の人にもわかり易く学んで知ってもらい、ご自分と家族の健康の為に役立ててもらうと同時に、私の夢の一つである『漢方医学に基づく日常生活(衣食住など)の指導者の認定資格』を取っていただいて、正しい情報の普及に参加してもらいたいと思っています。